情報提供:アドバンテージ・パートナーシップ外国法事務弁護士事務所
国際仲裁弁護人・国際調停人 堀江純一(国際商業会議所本部仲裁・調停委員)
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)専門家


移民の歴史

その2 最初の犠牲者

英国は移民に解放されたオーストラリアを18世紀、“ NEW HOLLAND” つまり無人の大陸またはラテン語でテラニュリウスと呼ぶことにしました。勿論、アボリジニーが住んでいる事は知っていましたが、アボリジニー征服によって土地の所有権を略奪したり条約を結ばなければならない土地の所有者とは認めませんでした。当時の国際法で “ NEW HOLLAND ”は無人の大陸だと見なされました。
なぜならば国際法の権威者であるスイス生まれの法学者、エマリッヒ・デ ヴァテルは、1758年に発刊され後日英訳された著作「国民法」で、「自然法の原則からして遊牧民族に土地の所有権は認められない。土地を耕作し、そこから収穫物を得る事によって初めて土地の所有権を認める。」と論じており、いかなる人々も実際に使用している土地以外には所有権を要求できないとしています。

ヴィテルは放浪している少数民族の土地を他国民が占領した場合、法律上許されるかとの問いに対して、「これらの民族は、住居も構えていなければ耕作もしていない。つまり土地は所有できない。
まず彼らがこの広大な土地を所有してると見なされない限り、法律的に土地の所有権は認めないとし、そこで狭い土地できゅうきゅうしているヨーロッパ人をこの大陸に連れて来て原住民が使っていない土地を 所有した所で何か法律上問題があるのか。」としました。ヴィテルの考えは国際法にも多大な影響を与え、ジョン・ロックのような法学者はその影響を受け、土地の略奪を正当化しようとしました。略奪化を正当化する為には、アボリジニー民族にはこの大陸の所有権は無いとし、キャプテン・クック達はアボリジニーを「住所不定で、次々と移り住み、漁獲と狩猟に け暮れ、この大陸に一平方の耕作地も見当たらない。」と書き残しました。それがアボリジニーに土地所有権がないと言うただ唯一の理由だったのです。18 世紀のヨーロッパ人の考えでは、住民がいても誰も土地所有権を主張しない限り無人の大陸であるという事になりました。

1787年4月25日フィリップ総督は、原住民との交流を計り、彼らの関心理解を得、我々英国民は<友好と親切>をもって彼らと生活するよう出来るだけ努めるように。」との指示を出しましたが、お互いの共存をうたいつつもアボリジニーの権利を認知するにはまでには到りませんでした。その後植民地ニューサウスウェールズの歴史では<友好と親切>の言葉は殆ど出てきませんでした。もし最初にフィリップ総督がアボリジニーの人々ともっと確で肯定的な関係を求めていたならば、アボリジニーの歴史は変わっていたでしょう。

注意事項:
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