情報提供:アドバンテージ・パートナーシップ外国法事務弁護士事務所
国際仲裁弁護人・国際調停人 堀江純一(国際商業会議所本部仲裁・調停委員)
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)専門家

オーストラリア:2025年NSW州賃貸法改正(5月19日施行)のポイントと影響

概要
2025年5月19日に施行されたニューサウスウェールズ(NSW)州の賃貸法改正は、借主と貸主の権利義務のバランスを見直し、公平で安定した賃貸市場を目指すものです。日系企業にとっては、契約内容の見直しや社宅運用ルールの調整が必要となるため、改正内容を把握し、適切な対応を行うことが重要です。

改正の背景と概要(Right to Disconnect)
ニューサウスウェールズ(NSW)州では、2025年5月19日に大幅に改正された賃貸関連法が施行されました。これはNSW州政府(クリス・ミンズ政権)の公約に基づく改革であり、借主と貸主の権利義務のバランスを見直し、公平で安定した賃貸市場を実現することが目的です。改正により、借主(又はテナント)にとっては住宅の安定性と公平性が向上し、貸主(又はオーナー/大家)には明確なルールに則った透明性の高い賃貸管理が求められるようになりました。特に、理由のない立ち退き要求(いわゆる“No Grounds”退去通知)の禁止やペット飼育の容認など、借主の不安を和らげる措置が盛り込まれています。以下に主な改正点を一覧表でまとめ、その後に各項目の詳細と借主・貸主への具体的影響について解説します。

主な改正点一覧
以下の表は、今回の賃貸法改正の主なポイントです。一部の改正は先行して2024年10月31日に施行されていますが、主要な項目は2025年5月19日に施行されました。

【表 改正内容の概要一覧】

(出所:資料を基に執筆者作成)

以下ではそれぞれの改正点について詳しく解説するとともに、借主と貸主それぞれに具体的にどのような影響や変化があるかを説明します。

賃貸契約終了に関する新ルール
正当な理由の提示義務と「No Grounds」契約終了の廃止

改正後は、貸主側から賃貸契約を終了する際に正当な理由(事由)の提示が必須となりました。従来NSW州では、一定の条件下で貸主が理由を示さずに契約終了通知(いわゆる無理由退去要求)を行うことが可能でしたが、2025年5月19日以降から禁止されています。貸主は賃貸契約を終了させたい場合、法律で定められた正当事由に該当する理由を示す必要があります。

正当事由の例として、以下のようなケースが挙げられています。
・借主の過失や契約違反:家賃滞納、物件への重大な損傷、その他契約違反など借主側に非がある場合(※これらは従来から認められていた事由です)。
・物件の売却:物件を売却し、買主から空室での引き渡しを求められた場合。
・大規模改修・取り壊し:物件の大規模な改装や取り壊し計画があり、借主が継続して居住できない場合。
・賃貸以外への用途転換:物件を今後賃貸住宅として使用しない(例:事業用に使う)場合。
・貸主やその家族の入居:貸主本人またはその家族が当該物件に居住する予定がある場合。
・雇用やプログラム利用の終了:借主が従業員用住宅に住んでいたが雇用契約が終了した場合、借主が社宅・学生寮等へ居住する資格を失った場合など。

貸主がこれらの理由で契約終了を通知する場合、通知時に理由を裏付ける書類等の提出が義務付けられました。例えば「自宅として使う」という理由なら本人が入居する計画書類、物件売却なら売買契約書類等の証明が必要です。また、虚偽の理由で退去通告を行ったり虚偽の証拠書類を提出した場合、罰金などの重い罰則が科されます。2025年5月19日より前に発行された退去通知については引き続き有効とされていますが、今後、貸主が新たに退去通知を出す場合は、正当事由が必須となりました。

通知期間の延長と再賃貸制限(Re-letting restriction)
上記の正当事由に基づいて貸主が契約終了の通知を行う場合、借主への「退去通知期間(事前予告期間)」が延長されました。2025年5月19日以降の最低通知期間は以下の通りです。
・期間未定契約(Periodic lease)の場合:少なくとも90日以上前に通知しなければならない。
・固定期間契約(Fixed-term lease)の場合:残存契約期間が6カ月以下なら60日以上前に通知しなければならず、6カ月を超える残存期間がある場合は90日以上前に通知(いずれも契約終了日は契約満了日以降に設定)しなければなりません。これは改正前と比べ大幅な延長であり、借主は少なくとも退去までに約2〜3カ月の猶予期間を与えられることになります。「より長い通知期間は、借主に新たな住まいを見つけるための十分な追加時間を提供する」と政府もその必要性を強調しています。特に固定期間契約では、従来30日程度だったケースが60日または90日に延びており、借主は引越し準備や物件探しに余裕が持てるようになりました。

さらに改正の特徴として、「再賃貸制限期間(Re-letting restriction)」が導入された点が挙げられます。これは、上記の正当事由によって貸主が借主を退去させた場合に、一定期間その物件を新たに貸し出せないようにする仕組みです。再賃貸を制限する期間は事由により異なりますが、例えば以下のように定められています。
・物件を賃貸市場から撤退させる場合(「今後賃貸に出さない」という理由で退去させた場合):12カ月間は新規賃貸不可。
・物件の売却(空室引き渡し)または貸主・家族の入居の場合:6カ月間は新規賃貸不可。
・物件の取り壊しの場合:6カ月間は新規賃貸不可。
・物件の大規模改装・修繕の場合:4週間(約1カ月)は新規賃貸不可。
この制限期間中にもし貸主や代理人が無断で新しいテナントを入居させたり賃貸募集をするなど、NSW Fair Trading(ニューサウスウェールズ州公正取引局)の許可なしに再賃貸制限に反する契約を結ぶことは禁止されており、違反には罰則があります。

ペット飼育に関する新ルール
ペット飼育許可の容易化と貸主の拒否理由の限定

今回の改正では、借主が賃貸物件でペットを飼いやすくなるよう、大幅な規定緩和が行われました。具体的には、借主が賃貸物件でペット飼育を希望する場合、貸主は正当な理由なくそれを拒否できなくなりました。借主は貸主に対してペット飼育許可の申請(リクエスト)を行うことができ、貸主は21日以内に書面で回答する義務があります。もし21日以内に貸主から何の回答もない場合、そのペット飼育申請は自動的に承認されたものと見なされます。つまり、貸主が対応を怠れば、借主はペットを飼うことができるという仕組みです。

貸主がペット飼育申請を拒否できるのは、法律で定められた限定的な理由に該当するときのみとなりました。正当な拒否理由の例としては、以下のような理由が挙げられています。
・飼育頭数の過剰:その物件ですでに複数のペットが飼われており、新たにペットを追加すると合計で5匹以上となるなど、明らかに多すぎる場合(※法律上「4匹を超える動物」は不合理とみなせる基準の1つ)。
・物件の飼育環境不適:物件の構造上フェンスが無い、庭や空間が極端に狭い等、そのペットの健康・福祉に反する環境である場合。例えば、大型犬なのに屋外スペースが無い物件など。
・過度な損害リスク:そのペットによって通常の敷金(ボンド)では修繕しきれない程の損害が発生する高度な蓋然性がある場合。大型動物等で甚大な被害が予見されるケースなど。
・貸主自身が同居する場合:物件が貸主の居宅でもあり、貸主が同じ敷地・建物内に居住している場合(貸主とペットの同居を強いることになるため)。
・法令・規約違反となる場合:そのペットの飼育が他の法律や地方法規(条例)、マンション等の管理規約(ストラタ規約)に抵触する場合。例:特定の動物種の飼育が法律で禁止されている、地方自治体の条例で頭数制限がある、マンションの管理規約で一部ペット制限がある、等。
・合理的な条件への不同意:貸主がペット許可に際して合理的な条件(後述)を提示し、それを借主が受け入れなかった場合。

なお、貸主がペット飼育を許可する条件(合理的な条件)として提示できる内容にも一定の制限が加えられました。例えば「ペット可とする代わりに敷金や家賃を増額する」といった条件は違法であり提示できません。貸主は追加のペット保証金や家賃上乗せを要求できなくなっています(ペットによる損傷が発生した場合は通常のボンドから修繕費が充当されます)。許可条件として認められるのは、例えば「定期的なプロのクリーニング実施」や「屋内ではケージに入れる」等、物件保全のための合理的な措置に限られます。

また、ストラタ・タイトル(区分所有マンション等)の規約で一律にペットを禁止する条項は無効とされ、そうした規約を理由に貸主が許可を拒否することもできません。これは昨今、NSW州で進められている「ペット禁止の慣行見直し」の一環で、管理組合規約そのものも法の趣旨に沿って改訂が求められています。改正の対象はあくまで一般の賃貸住宅であり、学生寮など学生向けの目的特化型宿泊施設(Purpose-built student accommodation)には本規定は適用されません。

最後に、貸主・仲介業者は物件広告に「ペット不可」と明示することが禁止されました。改正後は、募集広告に一律拒否の文言を載せることなく、個別の申請に対して判断する運用が求められます。つまり「ペット不可物件」という考え方自体が、原則なくなったと言えます。

家賃増額制限と支払い方法の変更
家賃増額の頻度制限(年1回まで)

NSW州では家賃の改定(値上げ)頻度に年間1回までという上限が設けられました。
2024年10月31日以降、全ての賃貸契約(固定期間契約・期間未定契約を問わず)において、家賃増額は12カ月に1度しか行えなくなりました。それまでは、期間未定契約(契約期間の定めがない月次契約等)および2年以上の長期の固定契約に限り「年1回ルール」が適用され、短期の固定契約では更新時に短期間で再値上げされるケースもありました。今回の改正により契約形態に関わらず統一的に年1回制限となったため、例えば6カ月契約終了後にすぐ家賃改定をするといったことはできず、最後の値上げから少なくとも12カ月は間隔を空ける必要があります。なお、この規制は、改正法施行前から継続中の既存契約にも適用されます。ただし2024年12月13日以前に締結された2年以下の短期固定契約には経過措置規定があり、一部例外となる場合があります。また、公的な社会住宅(公営住宅)で借主が家賃補助を受けている場合、その補助額の変動による家賃調整は年1回制限の例外として認められています。

家賃支払い方法の手数料禁止と選択肢拡充
今回の改正により、貸主および不動産管理会社は、借主に対し少なくとも1つは手数料のかからない家賃支払い方法を提供する義務を負うことになりました。典型的には銀行振込(Bank transfer)がそれに当たります。

従来、一部の不動産管理会社は特定の家賃支払いアプリやクレジットカード決済サービスのみを指定し、借主が決済手数料を負担せざるを得ないケースが問題視されていました。改正により、そうした借主負担の決済手数料を強いる運用は禁止されます。貸主・不動産管理会社は銀行振込等の無料方法を案内しなければならず、借主が希望すれば現金や小切手での支払い(伝統的には手数料無料)も選択可能です。さらに、今後、数年以内には、連邦政府の提供する家賃支払い制度「Centrepay」を全ての貸主が選択肢として提供することが義務化される予定です。Centrepayとは、生活保護受給者などが政府給付金から家賃を天引き支払いできる公的サービスで、借主の利便性と確実な家賃納付を両立させるものです。施行時点では義務ではありませんが、将来的に制度が整い次第、導入される見込みです。

改正に関連して、借主に特定の支払い方法やサービス利用を強制すること自体も禁止されました。例えば、「〇〇というスマホアプリでのみ支払うこと」といった、一方的な指定はできず、借主が同意しない限り他の支払い方法を拒むことはできません。

まとめと参考情報
2024〜2025年にかけて実施されたNSW州の賃貸法改正は、数十年ぶりともいわれる包括的なテナント保護強化策となりました。日本の借地借家法にも通じる「正当事由主義」の導入や、ペット共生ニーズへの対応など、NSW州の賃貸市場は大きく姿を変えつつあります。借主にとっては安心材料が増え、貸主にとっては透明なルールに沿った運用が求められます。NSW州政府は「今回の改革は世代単位で見ても最大の前進であり、21世紀にふさわしい公平でモダンな賃貸システムを築くもの」と強調しています。一方で、今後も住宅市場の状況に応じた改善が必要との声もあり、例えば緊急修理の定義拡大や敷金のポータブル化(持ち回り制度)などの追加策も検討されています。

NSW州在住の日本人の方々や日系企業においては、本改正内容を踏まえて賃貸契約の見直しや社宅運用ルールの調整などを検討されることをお勧めします。契約書の条項が新法に反していないか(例:ペット禁止特約の扱いなど)、実務上対応すべき事項がないかを確認してください。不明な点があれば、NSW Fair Tradingの公式サイトやTenants Unionなどの専門機関が発信する情報を参照するか、さらには専門の弁護士や不動産管理会社に相談することをお勧めします。新しいルールの下で、借主・貸主双方が納得し安心できる賃貸環境を築いていきましょう。

注意事項:
本稿は法的アドバイスを目的としたものではありません。必要に応じて専門家の意見をお求めください。
Liability limited by a scheme approved under Professional Standards Legislation

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