ジャパン/コンピュータ・ネット代表 岩戸あつし

今から34年前、1992年に私はシドニーに移住した。今回は自分自身の34年間ではなく、その間に私の目の前で起きた「豪州ITの34年」を振り返ってみたい。

1992年。日本ではすでにバブルが崩壊していたが、シドニーではまだ日本企業の存在感は大きかった。シティを歩けば、日本企業の名前が付いたビルや看板があちこちにあり、「この街のビルの半分は日本企業のものではないか」と思えるほどだった。

そしてオフィスには、今ではすっかり見かけなくなった人たちがいた。「タイピスト」である。部長や社長が紙に文章を書き、秘書やタイピストがタイプする。社長自身がキーボードを叩くなど、あまり格好のよいこととは考えられていなかった時代である。

それを一変させたのが1995年のWindows 95だった。「スタート」ボタンが登場し、同じ頃インターネットが急速に一般社会へ入ってきた。日系企業でも大事件が起きた。「これからは役員も自分でパソコンを使うように」という本社からのお達しである。

それまで秘書に「これを打っておいて」と渡していた偉い方々が、突然マウスを握ることになった。「ダブルクリックとは二回押すことです」と説明すると、ゆっくり一回、しばらく考えてもう一回押す。「もう少し速くお願いします」というところからパソコン教育が始まった。

ところがインターネットに対する反応は、日本企業とオーストラリア企業ではかなり違っていた。豪州企業は「便利なら使ってみよう」と比較的早く電子メールやウェブを取り入れた。一方、日系企業では「インターネットで会社の情報を送って大丈夫なのか」という警戒心が強く、日本との重要なやり取りには、その後もしばらくFAXが活躍した。昼間にFAXを送ると、日本から翌朝返事が来る。紙が通信手段だったのである。

2000年にはシドニー・オリンピックが開催された。そして同じ2000年、Windows 2000とWindows 2000 Serverが登場した。それ以前も会社にはサーバーがあった。IBMのAS/400を使う会社もあれば、Novell NetWareでパソコンをつないでいる会社もあった。しかしWindows Serverによって、パソコン、ユーザー、ファイル、プリンターを同じMicrosoftの世界で管理できるようになり、企業ネットワークは急速にWindows中心になっていった。

ただし豪州には、一つ大きな弱点があった。インターネットが遅いのである。国土が広いという事情もあり、家庭では長い間電話線を使ったモデムやADSLが主役だった。日本で高速な光回線が急速に普及していく一方、オーストラリアで全国規模のNBN計画が本格的に始まったのは2009年。それからも計画変更や工事の遅れが続き、NBNの全国的な建設がほぼ完成段階に達したのは2020年頃だった。「日本はITが遅れている」とよく言われたものだが、少なくとも家庭の通信回線については、シドニーから日本を見ると羨ましい時代が長く続いた。

そして2010年代になると、今度は「クラウド」という言葉が登場する。それまで会社の一室に大切に置かれ、「絶対に電源を抜かないでください」と言われていたサーバーが、少しずつ会社から消えていった。2012年にはAmazon Web Servicesがシドニーにデータセンター拠点を開設。メールもデータもソフトも、「どこかの雲の中」に置く時代になった。そして2020年、COVID-19で在宅勤務が一気に広がった。30年前なら会社へ行かなければ仕事にならなかったのに、パソコン一台あれば自宅が会社になった。

さらに現在はAIである。1992年、私たちは「どうすれば社長にマウスを使ってもらえるか」を考えていた。2026年の今は、「どうすればAIに仕事をさせるか」を考えている。34年間で、タイプライターは消え、FAXもほぼ消え、会社からサーバーまで消えようとしている。

さて、次の34年後――2060年。その頃、「昔の人は自分でキーボードを打っていたんだって」と若者に笑われているかもしれない。

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