ジャパン/コンピュータ・ネット代表取締役 岩戸あつし

ラマヌジャンをご存じだろうか? シュリニヴァーサ・ラマヌジャンは、1887年から1920年まで生きたインド出身の天才数学者である。インドは「0の発見」など、昔から数学を得意としており、多くの数学者を輩出している。ただ近年は科学技術を発展させた西洋が数学界をリードしてきたために、大物数学者としてのインド人の名前を見かけることは少ない。そうした中でラマヌジャンは、フェルマー、ニュートン、ガウスという大数学者に並び評せられる唯一のインド人近代大物数学者である。

ラマヌジャンが天才と呼ばれているのは、優れた点だけではない。天才ならではの偏向、奇妙なエピソードがたくさんある。彼は生涯において、おびただしい公式、定理、数式を発見したのであるが、それらを彼自身で証明することができなかった。通常数学者というものは、なにか新しい定理を発見したときは、どのようにしてそれらが導かれたのかという証明を同時に付けて提出する。それが彼にはできなかった。彼にとって発見した定理はヒンドゥー教の女神が導いたものであり、言わば直観、神の啓示と同じような仕組みでもたらされたのであった。

証明がなされていないのに、どうして彼が有名になったかというと、イギリス、ケンブリッジ大学のハーディー教授に認められたからである。ハーディーは、最初ラマヌジャンのノートを見た時に「狂人の戯言」程度にしか受けとらなかった。ノートは、きちんと整理された状態ではなく、思いついたまま順番に書かれていた。しかも、昔からある公式や定理をあたかも自分が発見したように書いてあったからである。ハーディーがそのことをラマヌジャンに聞くと、ラマヌジャンは、自分が発見したと言い張った。彼はまともな教育を受けていなかったため、先達の業績を知らなかったのである。しかし、ハーディーがラマヌジャンのノートをよくよく見ていくと、玉石混交の数式の中にハーディー自身が未発表の最新研究も含まれていた。さらに今までに見たこともない定理、数式が並んでいた。

ハーディーは、ラマヌジャンをイギリス、ケンブリッジ大学に招聘し、自分自身で証明できないラマヌジャンの成果をハーディーが代わって証明するというチームワークで業績を重ねた。ところが、ラマヌジャンは32歳という若さで病死する。しかし、彼の死後も多くの数学者の手を借りて証明作業が行われ、その作業はなんと1997年まで行われたという。彼の生涯は「奇跡がくれた数式」という映画にもなっている。

さて、前置きが長くなったが、イスラエル工科大学の研究チームがAI(人工知能)を使った「ラマヌジャン・マシン」を開発した。このマシンは、ラマヌジャンの思考形態をシミュレートしたもので、円周率πやネイピア数eなどの「数学定数」に関する新しい式を、AIを使って導くものである。要するに、ラマヌジャンの脳の中で起こっていたことを真似て、未発見の定理、数式を予測してくれる予測マシンである。そして、面白いことにラマヌジャンと同じように、このマシンは、数式の証明はしてくれないのである。現代のハーディー教授が必要なのだ。

以前にも書いたが、最新の人工知能は、単にハードウェアを脳に似せただけではない。つまり人工ニューロンの数を人間の脳のニューロンの数に合わせるたり、ニューロンの入出力端子の数を同じにしたりするということだけではなく、脳科学研究を取り入れている。例えば、ビックデータと深層学習という手法は、最新脳科学の成果によるところが多い。ラマヌジャン・マシンも、ラマヌジャンの脳が行っていたであろう手法をイスラエル工科大学の研究チームが考え、人工知能に仕組んだことで実現した。

その方法の説明は一言では難しいが、非常に大雑把に言うと「発見学習法」である。演繹的に理詰めで計算方法を考えるのではない。帰納法的にあれこれやってみて、同じ解が出た時、何か共通性がある解を発見したとき、それらの因果関係を考えることで定理や数式を導くやり方だ。コンピュータの計算速度は人間の何億倍もあるので、この特性を利用することで、人間が一生の間に考えることができる通り(ケース)を数秒で行うことができる。現代にラマヌジャンが生きていたら、ラマヌジャンVSラマヌジャン・マシン対決が見られたかも知れない。

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