情報提供:アドバンテージ・パートナーシップ外国法事務弁護士事務所
国際仲裁弁護人・国際調停人 堀江純一(国際商業会議所本部仲裁・調停委員)
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)専門家

憲法は異邦人の為に草案されるのか?

概要
オーストラリアの連邦憲法は、1901年1月1日に施行されました。連邦憲法の制定は、英国からの独立が目的ではなく、複数の英国植民地が連邦を結成するためのものでした。その背景には日本の存在があります。オーストラリアの法律に関する個人的な考察の豪州法務第125回では、「憲法は異邦人のために作られるのか?」について考えてみます。

日本の憲法が米国により作成されたのはご存知でしょうか
第二次世界大戦に負けた日本は無条件降伏し、1945年、米国の占領地になりました。その後、米国はソビエト連邦(ソ連)やソ連の同盟国となった中国と冷戦に突入し、占領下の日本を資本主義の砦とするために独立させることが急務となりました。そのため、日本に憲法作成を依頼しましたが、天皇主権の憲法草案が提出され、米国はこれを拒否しました。
当時、共産主義の波が日本の隣にまで押し寄せてきたため、日本に任せておいては時間切れになると判断した米国は、自ら日本の憲法を起草し、天皇主権から国民主権の憲法に改正しました。なぜ、米国は天皇主権を嫌ったのでしょうか? また、当時の日本は、君主制を嫌う米国の国民性をなぜ理解できなかったのでしょうか?

米国の合衆国憲法
1620年以降、腐敗したカトリック教会や欧州の君主制を嫌う英国人達が、新天地を目指して米国に移住しはじめました。多くの移民はピューリタン(清教徒)で、「神は生まれにより人間を差別しない」と、人間は神の下に全て平等であるとの信念を持っていました。政治的には共和党と民主党の2大政党が誕生しましたが、共和党と民主党は、歴史は違うにしろ、基本的には国民主権です。君主制を完全に否定しています。
米国が、欧州と距離を置き、第一次世界大戦、第二次世界大戦共に前向きに参戦しなかったのは、君主制が残る欧州を嫌っていたからとも考えられます。
1776年、英国から13の植民地が独立しましたが、対外的に連邦化する必要があり、合衆国憲法が起草されました。それぞれの旧植民地(州)が欧州と付き合うためには、より強い政府にならなければならなかったからです。しかし、各州の権限を維持するため、合衆国憲法は必要最低限の権限を連邦政府に与えるよう作成されました。

豪州の憲法
1788年から英国の植民地となった豪州ですが、現在の豪州が1つの植民地になっていたのではなく、ニューサウスウェールズ植民地やビクトリア植民地といったようにいくつもの植民地が作られました。これは、米国同様、英国の植民地政策によるものでした。最初は英国の植民地法に基づき各植民地が統治されていましたが、時が経つにつれ、各植民地がそれぞれ憲法を持つようになりました。
19世紀末、日本の経済や軍備が大きくなるにつれ、日本に脅威を感じた豪州の植民地は、対外的に連邦化する必要に駆られました。そして、20世紀の頭(1901年)にオーストラリア連邦が誕生しました。同時に連邦憲法が施行されました。しかし、米国同様、連邦の権限は最小限に収められました。ただし、連邦は英国から完全に独立したのではなく、相変わらず英国の影響下に置かれました。
1986年まで、連邦の最高司法権は英国にありました。また、現在も立憲君主制がとられ、英国の王が頂点に存在します。このあたりが、欧州を嫌い、独立した米国と異なります。ただし、連邦憲法は、起草にあたり、米国の連邦憲法を参考にしています。従い、豪州の州裁判所は英国英語であるのに対し、連邦裁判所では米国英語が使われています。

まとめ
日本国憲法は占領地憲法であるのに対し、米国は国民主権憲法、豪州は立憲君主制憲法です。3憲法共に、その時の各国の対外的状況によりきそう作成されました。つまり、これらの国の憲法は、国民ではなく、異邦人のために作られたとも言えるのではないでしょうか。

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