ジャパン/コンピュータ・ネット代表取締役 岩戸あつし

さて2000年の話をしよう。まず基礎知識として2000年1月1日は、21世紀ではないことを確認したい。21世紀が始まったのは、2001年1月1日である。当時はこのことを知らない人が大勢いた(おそらく今でも勘違いしている人がいると思う)。特に米国など、多くの国が百年に一度のセンチュリー(百年紀)と千年に一度のミレニアム(千年紀)を2000年1月にお祝いしたことで混乱に拍車がかかった。2000年10月に開催されたシドニーオリンピックは、20世紀最後のオリンピックと言われたのを覚えているだろうか。スタンリー・キュービック監督の「2001年宇宙の旅」というタイトルを最初に聞いたとき「なぜ2001年という中途半端な年なんだろう、2000年にした方がすっきりするのに」と感じたことはなかっただろうか?

このことについて延々と説明したくないが、当時多くの人が混乱したことであり、ITとも関連するので、もう少し説明したい。先ずそもそもの原因は、西暦が0年から始まらず1年から始まったということがある。ローマ数字にはゼロがなかった。西洋だけ責てもいけない。世界中にゼロはなかったのだ。日本の数え年もゼロがないため複雑な誕生日になったのをお忘れか。12月31日に生まれた赤ちゃんは、1月1日に数えで2歳になる。7世紀にインドの数学者がゼロを発見するまではどこもゼロなしで位取りが行われていた。数字の0が定着するのは0がアラビア数字に入り、アラビア数字が12世紀ごろに西洋に広まってからである。

長々とゼロの講釈をしたが、ITに関連する事件としては「2000年問題」があった。90年ころから言われ始め、2000年に迫るにつれ恐怖が煽られ、大問題に発展した。事の起こりはコンピュータの位取りである。昔のコンピュータ・プログラミングにおいて、年号は二桁で表していた。例えば、1980年は80、1995年は95になる。なぜ4桁を使わなかったかというと、そのころのコンピュータは速度が遅く、また扱える容量も少なかったため、できるだけ無駄なデータを省くということが行われていた。そのような理由でコンピュータの初期のころ組まれたプログラムは西暦4桁の後ろの二桁だけを入れていた。

ところが2000年が近づくに連れて、重大な問題が生じる可能性が指摘された。99は1999年であるが、次の00を2000年とコンピュータは解釈してくれるだろうか? 99+1=100 であるが、プログラム内で年号を2桁と定義している場合、99の次を00と定義していないプログラムも多く存在するのではないか? 中には1900年と解釈してしまうプログラムもあるのはという指摘もあった。ちなみに1900年と2000年の違いというのは、100年違うということだけではない。1年は必ずしも365日ではなく、閏年がある。1900年は平年(365日)であったが、2000年は閏年(366日)であった。それも2000年に限っては、400年に一回しか来ない特別な閏年だった。

昔のプログラムは、サブルーチンという小グループ単位で、プログラマー一人一人が手作りでコーティングした。先輩のプログラマーが監督、チェック、検収することが多かったが、完成までに何度もバグが出て、バグ取りをする必要があった。2000年問題が指摘される前は、2000年以降にそのプログラムがどのような動きになるかというような事前チェック項目はなかったように思われる。2000年問題が騒がれてから、各プログラミング会社はチェックを始めた。だが今まで作成されたプログラムを全てチェックするのは到底無理な話だった。戦々恐々の中、どこも適当にチェックして後はお祈りするしかなかった。

1999年になってわたしは、毎月IT関連の記事を書いている日系の新聞に2000年問題予想アンケートを載せた。回答対象はオーストラリアにある日系企業。問いは簡単で、2000年になった時にあなたの会社のコンピュータはどんな状態か? 1.大混乱 2.混乱はあるが通常の仕事ができる 3.ほとんど問題がなく仕事を続けられる。日経各社から回答が届いた。内訳は1.が一社のみ。2.は10社前後、後の30社近くは3.のほとんど影響がない、であった。各社の回答(会社名は伏せて業種だけを書いた)を紙面に載せる時、私の予想も載せた。

12月31日。わたしはシドニーの自宅で待機していた。お得様である銀行から2000年になってコンピュータが誤動作したら、即対応してほしいと言われていたからだ。テレビのカウントダウンが終わり、1月1日、新年が訪れた。この時点では銀行から何も連絡もなかった。元旦の朝が来た。銀行員はこの年は、特別に出勤してコンピュータをチェックすることになっていた。ずっと待っていたが、結局その日の5時ころに連絡があり、今のところ問題はないとのことだった。正月三が日が過ぎて平常業務に戻ったとき、銀行から再び連絡があった。日本でもチェックしているがどうも大きな問題はなさそうだという回答だった。私は日系新聞にその結果を載せた。結果は、3.のほとんど問題がなく仕事を続けられたで、わたしの予想も同じだった。この予想が当ったお陰で信用が増し、今まで仕事を続けてこられたと思う。

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