情報提供:アドバンテージ・パートナーシップ外国法事務弁護士事務所
国際仲裁弁護人・国際調停人 堀江純一(国際商業会議所本部仲裁・調停委員)
気候変動に関する政府間パネル(IPCC)専門家

オーストラリアは2021年9月、「調停による国際的な紛争解決契約に関する国連条約(United Nations Convention on International Settlement Agreements Resulting from Mediation:シンガポール条約)」に調印しました。オーストラリアの法律に関する個人的な考察としては、この「シンガポール条約」を取り上げます。

調停に関するシンガポール条約

概要
・ 国際的な商事調停により成立した和解合意について、執行力を付与するなどの、共通の法的な枠組みを定めたもの。
経緯
・ 国連国際商取引委員会により、作成される。
・ 2018年12月20日、国連総会において採択。
・ 2022年9月現在、署名国55カ国、うち締約国10カ国。

国際商取引紛争の解決手段として用いられるのは、訴訟、仲裁、調停であります。このうち、調停は、その迅速性、低廉性、そして秘匿性が担保されるという効率性の高さから、訴訟と仲裁に対して優位であるという見方も可能です。しかし、国際的な調停規則の先駆的な役割を果たすシンガポール調停条約は2019年時点で署名した国はわずか45カ国であり、2022年現在までで追加されたのはたったの10カ国です。そして、批准をしたのはこのうち10カ国のみです。また、署名国のほとんどがアジアや中東地域の国であり、ヨーロッパ諸国を中心とした西欧圏への普及が滞っているのが現状です。この背景には、英米法に則る国々の裁判の歴史と沿革があると考えられます。ここでは、調停制度そのものについて検討し、英米法と調停制度の関係や、今後の展望について考察します。

国際商事調停の特徴
① コスト削減
国際商事調停は、訴訟や仲裁などに比べて安価です。これは、手続きが簡略化されたことで当事者の負担が減ったことで可能となりました。また、次に挙げる迅速性もコスト削減の要因の1つです。

② 迅速性
シンガポール調停センターでは、解決にまで至った案件のうち9割以上がたった1日の調停で終了しています。調停申し立て時から終了までは、約2、3ヶ月かかるとされていますが、調停日は原則1日に絞られるため、迅速かつ効率的な解決が可能となりました。

③ 当事者が事案を管理することができる
調停人は事案を管理するのではなく、あくまで中立的な進行役としての立場で当事者間の連絡交渉を促す役割であり、各主張の優劣など評価も行わないため、双方が主張がしやすいという特徴があります。仲裁や訴訟と比較すると、紛争の終局的な解決を第三者の判断に委ねるのではなく、和解合意に応じるか否かの最終的な決定権は当事者に有するという点が特徴です。

④ 対話促進型
当事者が論理的に主張をぶつけ合うという評価型の話し合いではなく、過去の経緯を踏まえ、各過程の合意をしながら対話が進むため、感情面や信頼面での影響が少ないと考えられています。そのため、紛争解決後の取引が継続されやすいという利点があります。

⑤ 調停過程の発言・記録などは仲裁・訴訟の証拠とはならない
最終的に解決合意に至らなかったとしても、その過程はにおける記録は当事者合意がある場合を除き、証拠としては使用されません。
このように、シンガポール調停条約は国際的な商事紛争を解決する手段として有効的であるように思われます。しかし、依然として署名国・批准国が少ないのは何故でしょうか。この条約は、理論上は広く歓迎はされているものの、その本来の目的を達成するためには、多くの現実的な問題が残されています。

英米法と調停
西欧諸国の調印・批准が圧倒的に少ないということを説明するには、おそらく英米法の歴史や沿革を考察する必要があります。

英米法に則る国の多くは、歴史的にみると「当事者主義」を採用していたと言われています。当事者主義とは、人権を守る立派な制度であります。しかし、同時に、裁判において当事者が全責任を自ら負って戦うということであり、その結果、真実とは別の当事者の力量によって結果が左右されることがあり得るのです。法学者である、ジェローム・フランクは、「訴訟とは法廷で行われる合法的な戦闘」であると表現しているように、戦いの主役は審判ではなくあくまで当事者であると認識されていました。むしろ、裁判とは国家が運営するものではなく、自由民が構成する集会のもとで行われていました。自由民を裁きにかけ、判決を下すことができたのは、自由民たる同輩であったのです。なので、時には暴力的な行為、例えば暴力的な自力救済なども合法とされていたのです。また、ハインリッヒ・ブルンナーは、「復讐が金銭もしくは金銭的価値のあるもののために買い取られるということは、まさに不名誉」とされていたと指摘したことから、中世のヨーロッパ人は、贖罪金の支払いという形で決着を試みる裁判を好まなかったと解釈することができます。

また、裁判には禁反言という考え方があります。禁反言とは、先に言った自己の言動、表示と矛盾した事実を主張することを禁止することであり、例えば、出願段階にした主張や訴訟を後になってから撤回することはできないという考え方です。イギリスにおけるもっとも古い禁反語の様式は15世紀頃の記録禁反語といわれるものだといわれています。記録禁反語は国王によって厳粛に記録された事物には、反証を許さないという強い確定性を持つものと考えたところから始まっています。
さらに、当時のイギリスの訴訟手続においては、当事者が法廷に証拠を提出して陪臣や裁判官が事実認定をし、判決にいたるという形をとっておらず、法廷において当事者がお互いに自己の利益に基づいて主張を行い、当事者間の主張を通して一致した争点につき、一定の立証方法が選定され、その立証の結果に基づいて判決が下されるという形がとられていました。当事者間の争点とその立証方法について決定されたことは覆されることがないものとして実行されなければならなったのです。ここにも、「当事者主義」の理念が現れています。さらに、イギリスの裁判は宗教的、あるいは神秘的な方法がとられていました。裁判で記録された文書や言葉が「神聖なる国王」を体現する印章に拠るものなので、それに対して争うことが阻まれていたという見方もできます。

中世のヨーロッパは、裁判においていかに「当事者主義」重要視していたかが理解できるかと思います。お金や話し合いで解決せずに、裁判という形で勝負をしてなんとか決着をつけたい、という思想が現代の英米法に影響しているといっても過言では無いでしょう。

また、調停とはそもそも裁判のように当事者同士の主張をぶつけ合い、勝負するような形式は採りません。あくまで、話し合いによる和解を目指しています。しかし、上記したように、中世のヨーロッパ人はこのような和解を提案すること自体が「弱腰」であると認識されてしまうのです。この点においても、上記した英米法の沿革から、ヨーロッパ諸国は、紛争解決手段を選択する際に調停よりも、仲裁や訴訟という手段を好むという考え方もできるかと思います。

2019年8月7日時点でシンガポール調停条約にはじめに調印した国は、45カ国。2022年現在はそこから10カ国追加され、合計で55カ国が調印に至りましたが、批准をしたのはわずか10カ国です。また、調印をした国のうち、約半数以上がアジア・中東圏を占め、西欧圏の調印がなかなか進まない状況です。その背景には、調停という温和な紛争解決手段をとること自体が中世では「不名誉」だと認識されていたように、例え調停という手段の方が当事者にとって有効的な紛争解決手段であったとしても、相手方に弱腰であると認識されてしまわないように、裁判という形で真っ向から勝負をすることが望まれるからだと考えられます。このような背景から、ヨーロッパ諸国における調停の普及がなかなか進まないのではないでしょうか。

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