ジャパン/コンピュータ・ネット代表取締役 岩戸あつし

今から32年前、1990年のバブル期、日本経済は絶好調であった。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本が売れ、GSTで一位の米国に迫る勢い。技術大国を誇り、向かう所敵なしであった日本。米国は主力産業である自動車産業が日本の高性能低価格路線の前に成すすべもなく「日本人はワークホリックだ」「もっと休暇を取るべきだ」とお節介な批判を繰り返した。同じ言葉をワークホリックが自慢のエジソンやフォードに投げかけてみてはと思うほどアメリカ人はヒステリックになっていた。

日本が好景気に浮かれていた頃、米国では二つの計画が進められていた。一つは為替コントロール。もう一つは、米国が新しい産業であるITに巨額の投資をして再び主要産業の覇権を握る計画。為替の方は専門ではないので、これ以上のコメントはないが、ITに関してはたくさん言いたいことがある。

その頃米国では、ビル・ゲーツやスティーブ・ジョブズをはじめとするITの巨人たちが着々と地固めを行っていた。ビル・ゲーツ率いるマイクロソフト社は、従来のMS-DOSに加えて、隠し玉であるウィンドウズをMS-DOSの後継機にする計画が練られていた。ビル・ゲーツの快進撃とは逆に、スティーブ・ジョブズは自らが立ち上げたアップル社から追放されていた。だがスティーブはそんなことでは全く動ぜず、新しくNeXT社を立ち上げ、さらにCGで有名なピクサー社を立ち上げ、CEOに就いていた。これらの事業が基となり六年後スティーブはアップル社に復帰することになる。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」に酔い、浮かれていた多くの日本人は、彼らの動きに注目していなかった。彼らが近い将来世界を変える巨人になるというようなことは想像だにしていなかった。東京、大阪などの大都市では、巨大なディスコで毎晩お祭り騒ぎ。羽の付いた大きな扇子を片手にディスコ・クイーンたちが踊りまくっていた。

1990年、日本の大学でコンピュータ・サイエンスを学んだ若者は、引く手あまたの就職状況だった。彼らは給与が低く、世間の評価も低い新興のIT産業には就職せず、銀行や商社、大手メーカーといった人気の業種を選んだ。日本でのIT技術者の多くは、高校卒、専門学校卒で、大学卒の場合は理系からはなかなか集まらず、文系から多く取っていた。

仕事のスタイルもソフト・ハウスと呼ばれた子会社から親会社への派遣社員という形で多くが働いていた。この頃のコンピュータ技術者と言えば、メインフレームと呼ばれる銀行などに置かれている大型コンピュータのプログラミングが主な仕事。プログラミング言語は、フォートラン、コボルという今となってはとても古い言語。彼らは給与をもらうサラリーマンであったが、彼らが勤める会社とクライアントとの契約はコーディングしたプログラムの行数で支払われた。

このころはまだ「オタク」という言葉は一般に浸透していなかったが、コンピュータに携わる技術者は一般職に比べて変人が多いと言われていた。朝から晩まで部屋の隅にあるコンピュータの前に座り、同僚と会話することも少なく、暗いイメージ。何日も徹夜しても平気、髪はボサボサ、髭は伸びっぱなし。こんな調子だから女の子にももてない。コンピュータに携わるとこうなってしまうのか、それとも元々このような変人で暗い性格の人たちが向いている職業なのか。いずれにしても丸の内で活躍しているエリート・サラリーマンとは全く異なる性格、生活習慣の人たちが多い集まりであった。

海外ではどうであったかと言うと、日本に比べて主力産業が弱かった分エリート学生がIT企業に就職したり、IT企業を起業したりした。日本のIT産業はメーカーや他の既存産業の下請けになり、子会社、孫会社という形で縦社会の底辺に押しやられ独立した産業としての発展が遅れた。逆に、世界一になれるような強力な産業を持たなかった国々(例えばインド)では、古い慣習に捕らわれない、歴史が始まったばかりのIT産業に夢を託した。理系の頭脳明晰な若者たちがこのチャンスとばかり集まりだした。そしてITの発展と共に、ITがその国の主力産業になっていき、一流のIT技術者が育っていった。超大国ではあるが産業が低迷していた米国でも、ビル・ゲーツ、スティーブ・ジョブズといった技術者がトップに立って会社を引っ張るという新しいタイプの経営が人々に歓迎された。従来ではあり得なかったオタクのCEOが作業服を着て新作ハード・ソフトの発表会に自ら出てプレゼンするという今日のスタイルを作った。

インターネットはまだ一般には全く知られていなかったが、米国では主要大学間を繋いだインターネットがすでに使用されていた。主なアプリは、メール(SMTP)、ファイル転送(FTP)、遠隔ログイン(Telnet)であった。日本の一部の大学でも実験的にインターネットは整備されていたが、日本企業は全くと言ってよいほど関心を示していなかった。安全性、安定性、コンプライアンス重視の日本企業は、将来インターネットが世界を席巻するなどということは、この年には夢にも思っていなかった。

2022年の今日、みなさんはそれからどうなったかご存知であるが、細かいプロセスに関してはご存知ないかも知れない。今後機会を見つけて5年単位くらいでITの歴史を書いていこうと考えている。

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