ジャパン/コンピュータ・ネット代表取締役 岩戸あつし

明治以降日本が急激に近代化、西洋化し、短い期間で準備が整えられたのは、福澤諭吉の「学問のすすめ」にあるような四民平等、義務教育制度にあると言われている。しかし見逃してはいけないのは、江戸時代に庶民に広がった寺子屋文化。所謂「読み書きそろばん」という実学だ。同時代の世界では、貴族、知識人と呼ばれる一握りの人たちしか文字の読み書きができなかったのに対し、江戸時代の日本では庶民文化が大きく開いた。一般の市民でも多くの人たちが読み書きできたということが、明治の近代化促進の下地になったと考える。

私は、ITが現代の「読み書きそろばん」であると思っている。ITの能力が下地になってこれからの文化を築き上げると考えている。だが、オーストラリアと比べて日本ではまだまだそう思っていない人が大勢いるように思われてならない。

QRコード
COVID19でロックダウン中のシドニーの街。全ての店で、QRコードでチェックインすることを義務付けられている。そのため、スマホを持たないでスーパー行くことは不可能に近い。スマホを持っていない人たちは、確か紙のリストに記入するようになっているのだが、QRコードの便利さと比べて非常に手間取る。しかも、多くの人が触った紙、ペンを使うのに抵抗がある人がいるだろう。

公共の事務処理はスマホ
今やMedicareのリベートと言った公共の事務処理もスマホやPCで決済するようになっている。私はこの電子決済が始まった当時、スマホの決済方法が分からなかった。直接Medicareカウンターで処理してもらおうと思い、市内にあるMedicare Centreに行った。その時係員に書類を渡してそれで終わりかと思っていた。ところが、係員は「Do you have a smart phone?」と私に尋ね、私のスマホにMedicareのアプリをインストールしてアカウントを作ってくれた。それで今後は自分のスマホでやるようにと言われた。つまりMedicareをはじめとする公共事業の事務処理は、今後はこのようにカウンター事務をなくして、すべてスマホかPCを使って自分でするようになるということを意味していた。

日本におけるデジタル化
日本で同じようなことができるだろうか? まず日本ではiPhone、アンドロイド搭載のスマホが標準になっていない。まだまだガラパゴスと言われる携帯電話を持っている人たちが大勢いる。市役所のカウンターがなくなったら、人権蹂躙とか年寄りいじめとか言われて大騒ぎになるだろう。日本はスマホを持っていない人がかなりの数いるというだけではなく、スマホの使い方が分からないという人たちも大勢いる。私の友人で、最近不便なのでやっとスマホを買ったという連絡を受けた。その友人は家にPCがないそうだ。
Windows 95が販売された1995年。日本でも今までの手書きから、パソコンを使った仕事に変更されるようになった。その時一番困ったのは、頭の切り替えができない会社の社長、重役だった。私はそのころシドニーで日本人用のパソコン教室を開いていたのでよく覚えている。日本の本社から「これからは秘書を使わず、自分の席にパソコンを置いて自分で処理するよう」と命令が来ていた。それまではタイピストと呼ばれるタイプ専門の職員(主に女性)を雇っていたが、これからはそれを廃止、自分で処理するようにという内容だった。
そのころの日本人のほとんどは手書きで、タイプをしたことがなく、アルファベットの「a」のキーがどこにあるのか探さないといけないレベルだった。私はそのお陰で、多くの会社の重役の方にITを教えることになり、その縁でパソコン教室だけでなく、ITの仕事も請け負うことになったという背景がある。この変革は主に企業で起こったことなので、会社勤めしていた人たちは無理やりでも技術を習うことができた。だが、すでに退職していた人たちや、商店など小規模の経営者、従業員は、訳が分からないまま置いてきぼりにされた感がある。あれから四半世紀経った今でも、日本にはITを積極的に利用する若者、ITは若者に任せて今までのアナログ生活を続けようとするお年寄りという二極化があるように感じる。

弱い者の味方はいいのだが・・・
日本は、できるだけIT弱者と呼ばれるお年寄りや、ITについていけない人のことを考慮して行政を進めている。それは福祉国家として立派な振る舞いである。一方、銀行や保険会社など、かつて駅前に支店を持ち、多くの従業員を雇っていた業種がダウンサイジングをし、支店廃止、カウンターの縮小をしている。自由経済の中で生き残るためにはこのような改革が必要なのだ。国や地方自治体の予算も限られており、年金のお知らせを一つ一つ郵便で送っていたら、その送料や人件費はブーメランで自分たちの年金に跳ね返る。改革が遅れると国際経済の渦のなかでどんどん遅れを取っていき、日本はIT後進国と呼ばれるようになるかも知れない。

私は思うのであるが。ITにおける最低必要な「読み書きそろばん」の規準レベルを毎年国が定めてはどうか。そのレベルまでは義務教育で教え、シニアを含むそれ以外の人たちには、その規準まで到達できるような教育を充実させる。そのことにより、基本的なITをベースにした行政改革が可能になると思うのであるが、みなさんはどう思われるだろうか。

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