ジャパン/コンピュータ・ネット代表取締役 岩戸あつし

私の小学校のころのクラスは、とても元気がよく、授業は活気に溢れていた。大阪の下町という地域性もあってか、生徒は授業中よく発言し、先生はそれに一つ一つ応えてくれた。生徒が解らないことがあると、先生は生徒が解るまで粘り強く教えてくれた。私はそれが普通だとずっと思っていた。それが普通でないと分かったのは中学1年生の秋、他地域に転校したときであった。

転校先の中学校は、シーンとして誰一人授業中話す者がいなかった。手を上げて質問することも憚られた。最初は前の学校の雰囲気から抜け切れず、授業中に時々手を上げて質問をした。すぐにクラスの番長に呼び出され胸座を掴まれ、「お前は生意気だ。黙ってろ!」と制裁を受けた。

クラスを観察してみると、いろんな不思議なことが分かった。授業中窓の外を見ている、目を開けてはいるが頭は寝ている生徒はどこの学校にもいる。だが、授業中一度も質問をせず、能面のような顔で普段から無口で、テストをさせればいつも100点満点という生徒がいたのには驚いた。同じ日本で、異次元の世界があることがわかった。そして後に、こちらの方が日本のスタンダードで、私が生まれた育った大阪の下町が特殊な地域であるということが後に分かった。

そのショックを抱えたまま、どうしてよいか分からず高校生活が終わりかけたとき、ある米国人の英会話教師と出会った。彼の教え方は正に懐かしい「大阪下町方式」であり、授業中積極的に生徒に喋らせた。「間違ってもいいから、どんどん話しなさい。間違いは恥ではない」と言われた時は涙が出る程うれしかった。水を得た魚のように私の英会話は上達していった。

ある日、私は米国人の先生にアメリカの授業風景を聞いた。アメリカの学校の授業は対話が中心であり、紙の試験だけではなく、普段の授業中にする質問の点も加算される。日本人は間違いを恐れて、恥を掻くのを恐れて、授業中質問しない生徒が多いが、アメリカではそれでは授業の評価は0点になる。日本では、授業中どうであれ、紙の試験さえよければ成績がよいということになる。成る程、これが官僚型秀才を生み出すシステムか。

次に私が救われたと思ったのは、20代にパソコンを触った時であった。当時パソコンが出て来たところで、まだ一般的には広まっていなかった。パソコン教室と言うのもなく、自分でいろいろ触って機能を確かめるしかなかった。パソコンに機械のマニュアルとソフトのマニュアルが別々に付いていたが、それぞれの機能やコマンドを辞書のように書いたものが中心で、トレーニング・マニュアル的なものはなかった。

同年代の友人から、「パソコンは、まともなマニュアルがないので、学習するのが難しい。きっと三日坊主に終わって、高い買い物になるよ」と忠告されていた。そう言われると挑戦したくなるのが私の性格で、友人たちの心配をよそに高い買い物をした。確かに苦労した。学校に例えるなら教師のいない学校で、教科書だけで自習せよと言っているようなものだ。さらにその教科書は、超難解で全く親切ではない。

高い買い物だったこともあって、また友達に対する意地もあって兎に角パソコンをパチパチやってみることにした。パソコンは何か叩くと必ず何か返事をくれる。間違ったらエラーメッセージを出してくれる。それを頼りに今度は別のキーを叩いてみる。英語と同じで、「習うより慣れよ」という感じで訳が分からなくてもいいから時間をかけてみることにした。

すると次第にパソコンの性格が分かってきた。パソコンに向かうときは、ただ闇雲にキーを叩き続けるのではなく、パソコンがくれた返事を元に次の操作を考えることが大事だ。「なぜこのキーを叩いたときにエラーなったのか?」そのことを何日も考えたことがあった。そしてパソコンとの対話を通じて学習していく方法を身に着けていった。

最初、パソコンの学習は、教科書だけが与えられた自習と同じであると思っていたがそうではなかった。教科書は返事をしないがパソコンは返事をしてくれる。教師が一方的に本を読んで解説する官僚型秀才教育でもなかった。それは「大阪下町方式」に近く、慣れてくるとどんな返事が返って来るか想像できるようになった。もっと慣れてくるとパソコンが懐かしい小学校の教師や、英会話を教えてくれた米国人の先生に思えてくることがあり、一人にやりと笑うことがある。

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