カーストや貧富の差における格差、差別などが障害となって国民が1つに纏まらないインド。90年代までは頻繁に工場の生産ラインを止めるストライキがあり、社会主義国であったことでCOCOMなどの輸出規制もあり、海外からの大規模投資はほとんどなかった。
1991年のソ連崩壊により、インドは自由主義国の仲間入りを果たした。その時タイミングよくスタートしたのがIT産業であった。ITの場合は従来の産業と異なり、頭のよい英語のできるエリートだけで仕事ができる。給与も一般よりは高いので労働組合のごたごたも少ないということで、IBM、NASA、Microsoftという名だたる企業がインド南部ベンガルール(旧バンガロール)にITセンターを建てた。
ベンガルールというさほど有名でない中都市(現在は1千万人、インド第五の大都市に発展)に大きなセンターを造った理由として、第一に気候がよいということがある。夏は40度冬もかなり冷え込むデリー、ムンバイ、コリカタという大都市と比べて、ベンガルールは一年を通して気温20度台をキープしている高原にある。次に南インドは北と比べて英語教育が浸透していること。ヒンディー語などの北のアーリア系の言語とは異なった言語体系をもつ南インドは、ヒンディー語の国語化を嫌い自分たちの言語とは別に英語を重要視してきた。またベンガルールには、理系の有名大学が二校もあった。
ベンガルールの成功により、インドの外貨準備はもはや出稼ぎに頼る必要がなくなり、国としての余裕ができた。そして、ベンガルールだけでなく、同じく南インドの都市プネー、ハイデラバードも勢いを嘗て大規模なITセンターを造った。インドはいわばIT一本で国を建て直したといえよう。これにはアメリカ企業の協力が欠かせなかった。日本の場合は主に日本語という言語が障害になりインドへの進出が遅れた。
昨今の中国との摩擦が原因で遅ればせながら日本もインド進出を図っているが、最初は現地インド人のマネッジメントに対してかなり失敗していたようだ。例えば、日本人だけで現地の幹部を構成していたら従業員が思うように働いてくれないということがあった。逆に、現地社長を雇って彼に任せていると、いろいろな不正を行っていてそれを見抜けなかったというようなことも聞いた。その点、アメリカIT企業のマネッジメントは優れている。インド人の気質を見抜き、主にエリートインド人を雇い、個人個人の能力を評価できる仕事仕分けをし、細かいルールを徹底させた管理を行っている。ITを駆使した管理で、現在の仕事内容もモニタリングされている場合が多く、日本人のように仕事を任せっきりにしない。その代わりと言えばなんだが、評価が速く出るので報酬も評価に応じてすぐに変更される。報酬は日本とは比べ物にならいないほど差をつけるので、インド国内でも日本人より高い給与を取っている優秀なエンジニアがたくさんいる。
日本が海外に出る場合、常に問題になるのが日本的なマネッジメントを海外でもやるかどうかだ。オーストラリアですでに起こっている現象であるが、現地に派遣された日本人社長よりローカルの従業員の方が、サラリーが高いということが往々にしてあり、マネッジメントはそれをどう納得するかであろう。グーグルやアップルなどで働くトップエンジニアは平均給与の10倍以上取るというのが当たり前に行われている。日本のように平均された給与では優秀なエンジニアを引き抜かれるという問題もある。ほとんどの日本の会社はインドにおける日本的マネッジメントに失敗しているが、インドのスズキ自動車は唯一例外の成功例だ。自動車産業の場合はITと違って、一人の天才に頼ることがなく、一部品あたり1円の節約が必要な産業だからであろう。
日本も戦後まもなくは、外国に売るものがなく、日本人形などが主な輸出品だった時代がある。その後、トランジスターなどの電子部品を日本で作るようになり、当時の池田首相はトランジスターのセールスマンと揶揄された。外貨が自由に持ち出しできるようになったのも戦後20年を経てからである。振り返ってみるとインドだけではない。日本も窮地に追い込まれて必死の思いで新しい産業を興して外貨を獲得した歴史がある。